土田 隆雄 |
平成3年に大阪医科大学卒業後、大阪医科大学胸部外科に入局。胸部外科医としての道を歩みだす。その後、医員として勤務した大阪府三島救命救急セン ターで福本仁志先生と出会い、救命救急における外科医としての薫陶を受ける。平成7年には大阪医科大学胸部外科大学院に入学し、「心筋保護、心筋障害指標 としてのH-FABPの研究にて医学博士学位を取得。 平成11年より西宮渡辺病院心臓血管外科に勤務し「心臓血管外科医として臨床経験を積む」平成14年よりさらなる経験のために単身渡豪、シドニーのSt. Vincent's Hospitalにて心臓外科医として年50例の心移植を始め数多くの心臓手術に従事。 平成16年に帰国後、大阪医科大学胸部外科の助手に就任。その翌年、大阪府三島救命救急センター医員として再び従事した後、平成18年、新規移転と なった城山病院に新たに心臓血管を開設すべく心臓血管外科部長として任命され、古林圭一先生とともに心臓手術を開始。心蔵血管センター設立に際し貢献する。 平成19年にはさらなる心蔵血管センター発展のため大阪府三島救命救急センター所長代理であった福本仁志先生を招請し、現在の城山病院心臓血管センターのチーム医療の基礎を築き今日に至る。 |
嶋田 芳久
医学博士 |
平成7年に大阪市立大学医学部卒業後、亀田総合病院・淀川キリスト教病院にて臨床研修を受ける。平成9年よりツカザキ記念病院循環器科に赴任し、年間100例以上の急性心筋梗塞の急性期治療に従事する。同病院にて心血管疾患急性期医療の臨床経験を積むと同時に、その治療成績・臨床研究成果を国内・国際学会にて報告、多数の英文原著論文を発表。冠動脈血流と心筋リモデリングの研究にて医学博士学位を取得した。 平成14年より米国スタンフォード大学メディカルセンターに留学し、血管内超音波法の先駆者でおられる Peter J. Fitzgerald先生・Yasuhiro Honda先生の指導の下、冠動脈内イメージングの研究に従事し、その成果を国際学会で発表すると同時に著書・寄稿・論文を数多く執筆した。 平成17年に帰国し、大阪市立大学医学部付属病院循環器病態内科学にて勤務、後輩医師の指導・育成に携わる。平成19年より城山病院心臓血管センターにて勤務。福本仁志センター長を中心に新たにリニューアルされた心臓血管センターの循環器科部長として任命され、今日に至る。 |
吉田 正隆 |
平成8年に大阪医科大学卒業後、大阪医科大学胸部外科(教授:佐々木進次郎先生)に入局し臨床研修を開始。研修中に勤 務した大阪府三島救命救急センターにて現理事長の福本仁志先生と出会い、外科医としての指導を受ける。平成11年には大阪医科大学大学院外科学博士課程に入学し、平成15年に医学博士学 位を取得。 平成15年4月より大阪医科大学病院胸部外科にて勤務。平成18年5月より信愛会新生病院、平成22年5月からは医仁会武田総合病院心臓血管 外科センターにて勤務した後、平成26年4月より城山病院心臓血管センター勤務となり、現在に至る。 |
本橋 宜和
日本心臓血管外科専門医
日本循環器学会専門医
日本外科学会専門医
腹部ステントグラフト指導医
胸部ステントグラフト実施医
下肢静脈瘤血管内焼灼術指導医
臨床研修指導医
吉谷 和泰 |
平成13年京都大学医学部卒業。以来、静岡県立総合病院、天理よろづ相談所病院などで不整脈診療の経験を積み、平成22年より兵庫県立尼崎総合医療センターにて不整脈部門のトップとして3000例以上のカテーテルアブレーションを経験。難治性の症例に精力的に取り組み、マーシャル静脈に対するケミカルアブレーション関係などで、海外学会、文献などで報告。ときに他病院にも出向き、指導的役割も担う。 |
中谷 佳裕 |
平成20年広島大学医学部を卒業した。その後、和歌山県立医科大学付属病院で初期研修を修了し、同循環器内科学講座へ入局した。大学病院や関連市中病院で年間100例近いカテーテル治療などを経験し、研鑽を積んだ。平成26年から岐阜ハートセンターへ国内留学し、虚血性心疾患や不整脈を中心とした専門治療、技術を身につけた。平成28年からはりんくう総合医療センター、ベルランド総合病院といったカテーテル手術が充実した医療機関に勤務し、総数1000例以上のカテーテル治療に携わった。学会活動なども行い、循環器専門医、不整脈専門医などの資格を取得した。 |
中逵 誉
臨床研修指導医 |
平成21年に兵庫医科大学病院卒業後、茅ヶ崎徳洲会総合病院で臨床研修を受ける。平成26年より国立循環器病研究センター心臓内科レジデントとして肺循環、重症心不全・移植医療部を含め循環器分野について広く研鑽する。同時期に各循環器分野における治療成果を国内・国際学会にて報告、英文原著論文を発表し、同施設でのベストレジデント最優秀賞を受賞する。 平成29年にベルランド総合病院循環器内科で勤務。急性期の集中治療分野から終末期に至るまで広く従事し、集中治療分野での原著論文の発表だけでなく同院での急性期治療に対するプロコールの作成や心不全緩和ケアガイドラインの作成などに中心的に携わった。また後輩医師の指導・育成や同院での特定機能病院看護師の育成、同施設地域の救急救命士に対し連携を重視することを目的とした講演を交えた指導、クリニックや療養施設を対象に講演会を通じハートノートを介した慢性心不全の地域医療連携の啓蒙など、職種の枠を超え多方面で同院での医療レベルの向上に努めた。 研修医時代より続く「あらゆる職種で多方面から医療に携わる」の信念のもとに急性期から終末期にかけて、多方面から介入できる医療人を目指し、引き続き研鑽出来る環境を求め、城山病院へ勤務となる。 |
山中 祐輝 |
平成23年に信州大学医学部を卒業。同年4月より国家公務員共済組合連合会 大手前病院にて2年間の初期臨床研修を受けた。初期研修期間中に心臓血管診療に魅了され、卒後3年目からは同院循環器内科にて心臓急性期治療、特に虚血性心疾患に対するカテーテル治療やその集中治療管理を4年間学んだ。さらなる自己研鑽のため平成29年4月から城山病院心臓血管センターに赴任。特定分野に偏らないことをモットーとし、診断医学としては心臓超音波・CT・MRI検査などの解析、治療医学としては冠動脈・末梢血管カテーテル治療、弁膜症カテーテル治療、不整脈アブレーション治療のすべてに従事し、これら全てにおけるトランスリレーショナルな循環器エキスパート医を目指している。 |
寺下 和範 |
平成24年に大阪医科大学医学部を卒業後、順天堂大学医学部附属順天堂医院にて臨床研修を受ける。 平成26年より大阪市立大学循環器内科学に所属し、レジデントとして虚血性心疾患・不整脈疾患・心不全など様々な分野での循環器疾患の臨床経験を積む。平成28年からは藤井会石切生喜病院に赴任し、急性冠症候群や狭心症に対するカテーテル治療に積極的に取り組み、それらの成果を国内・国際学会で発表した。 平成31年より城山病院心臓血管センターに赴任し、引き続きカテーテル治療を中心として取り組み、様々な心臓病や血管疾患に対してその急性期治療から心臓リハビリテーションそして再発予防まで、患者さんの病状にあった形で提供できるように診療に当たっています。 |
喜納 直人 |
平成14年に滋賀医科大学医学部を卒業し、大阪市立大学医学部 第一内科学教室(現循環器病態内科学教室)に入局した。大阪市立総合医療センターにて臨床研修を受ける。 平成16年よりツカザキ記念病院循環器科に赴任し、循環器疾患の急性期治療に従事する。同院赴任中に嶋田 芳久先生と出会い、嶋田先生の指導のもと、国際学会での発表などを経験した。 平成19年にツカザキ記念病院循環器科の移転に携わり、循環器疾患における地域連携の重要性を実感した。 その翌年、大阪市立総合医療センター循環器内科で研究医として再び従事することになり、臨床経験を積むと同時に臨床研究成果を多数の学会で報告し、後輩医師の指導・育成にも携わった。 城山病院心臓血管外科センターのさらなる発展を目指し、平成22年に当センターに赴任し今日に至る。 城山病院赴任後は、日常臨床をこなしながら種々の資格を取得した。現在は、心血管・末梢動脈疾患のカテーテル治療、不整脈治療などを中心に行いながら、地域連携にも積極的に関わり、地域に根付いた心臓血管センターを目指している。 |
矢野 健太郎 |
平成21年に近畿大学医学部を卒業。同年4月より城山病院での臨床研修プログラムの基で、2年間にわたり内科系・外科系を広域に学んだ。この初期研修が後の「日本内科学会認定内科医」「日本外科学会専門医」同時取得につながった。平成23年4月からは心臓血管センター所属となり、多面的なアプローチで心血管病治療に臨んだ。すなわち、冠動脈疾患に対しては経皮的冠動脈形成術(ロータブレーター、エキシマレーザー、CTO治療含む)おこない、難治症例に対しては自ら心臓バイパス術をおこなうといった、パーソナルハイブリッド治療を提供した。末梢血管疾患においても、内膜剥離術と血管内治療(EVT)および遠位バイパス治療も提供し、患者転帰の改善に寄与した。そのほか重症心不全患者に対しては心臓同期療法(CRT)を大動脈疾患患者においては人工血管置換術とステントグラフト治療を使い分け、疾患のみならず年齢・全身状態・合併症などを包括的に考慮したテイラーメイド心血管治療をおこなった。令和2年から活躍の場を城山病院以外にも広げるため非常勤医師となったが、現在も定期的に治療協力は継続しており、心臓血管センターのさらなる発展に貢献したいと考えている。 |
古林 圭一 |
平成12年に大阪医科大学医学部卒業後、佐々木進次郎先生(前教授)に師事し、大阪医科大学胸部外科に入局する。その後、平成13年より大阪府三島救命救急センターの医員として勤務し、現センター長(城山病院)の福本仁志先生に師事する。 |